作品について
「美の表現」を装身具の中で見てゆくと現代のジュエリーとは西洋の文化であることに気が付きます。日本の装身具の歴史は、遥か縄文時代まで遡ります。
人々は独特な髪型や刺青と共に勾玉や管玉に代表される装身具(ジュエリー)で彩られ、宇宙意識や大いなるモノとのアクセスツールとして身につけられ、その美意識は主に王族の祭祀儀礼のツールや護符としての役割、またその権力の象徴と共に弥生・古墳時代へと受け継がれてゆきます。
しかし不思議なことにそれらのジュエリーは飛鳥時代に入ると忽然と歴史の舞台から消えてしまいます。数多あった国や王権が“ヤマト”に集約され、神と繋がる為のツールもその着用を許される人がごく小数に絞られてゆきます。また同時に人々は美の表現として身に着けるジュエリーを捨て、着物や髪飾り等を選択したのです。そこから着物や髪飾りに代表される“染め”や“結び”そして金物細工へと新たな表現への技が磨かれてゆきます。そして永い時を経て再びジュエリーが登場するのは文明開化の変革期・明治を待たねばなりません。
1500年に渡る空白期間を経て再び表舞台に登場したジュエリーですが、それまで培ってきた和の表現技法が表舞台から退いてゆきます。着物から洋服へ。結った髪からカットヘアーへ。衣食住すべてが西洋文化を取り込む大きな流れの中へ入り、その潮流は現代へとつづきます。現在、華々しく表舞台で西洋スタイルのジュエリーはスポットを浴び、現代の我々のライフスタイルにすっかり浸透しています。21世紀という時代はその取り入れた西洋のものをこの日本の美意識が昇華し世界へ発信する時代です。そこで新たな表現のベースとなるのはこの地で連綿と受け継がれてきた日本の伝統文化と称される匠の技です。
私はこの国の風土が1500年の空白期間に培ってきた和の美意識と技法に新たな表現の可能性を見ています。そして西の文化であるジュエリーと東の文化である日本の美と匠の技との出会いからこの和の表現が生まれました。
作品制作は一篇の詩を紡ぐことから始まります。その詩からデザイン画生まれ、形へと…
そこには畏怖すべき神なる気配との対話と内に潜む神性にアクセスする文脈が内包されています。
作品について
「美の表現」を装身具の中で見てゆくと現代のジュエリーとは西洋の文化であることに気が付きます。日本の装身具の歴史は、遥か縄文時代まで遡ります。
人々は独特な髪型や刺青と共に勾玉や管玉に代表される装身具(ジュエリー)で彩られ、宇宙意識や大いなるモノとのアクセスツールとして身につけられ、その美意識は主に王族の祭祀儀礼のツールや護符としての役割、またその権力の象徴と共に弥生・古墳時代へと受け継がれてゆきます。
しかし不思議なことにそれらのジュエリーは飛鳥時代に入ると忽然と歴史の舞台から消えてしまいます。数多あった国や王権が“ヤマト”に集約され、神と繋がる為のツールもその着用を許される人がごく小数に絞られてゆきます。また同時に人々は美の表現として身に着けるジュエリーを捨て、着物や髪飾り等を選択したのです。そこから着物や髪飾りに代表される“染め”や“結び”そして金物細工へと新たな表現への技が磨かれてゆきます。そして永い時を経て再びジュエリーが登場するのは文明開化の変革期・明治を待たねばなりません。
1500年に渡る空白期間を経て再び表舞台に登場したジュエリーですが、それまで培ってきた和の表現技法が表舞台から退いてゆきます。着物から洋服へ。結った髪からカットヘアーへ。衣食住すべてが西洋文化を取り込む大きな流れの中へ入り、その潮流は現代へとつづきます。現在、華々しく表舞台で西洋スタイルのジュエリーはスポットを浴び、現代の我々のライフスタイルにすっかり浸透しています。21世紀という時代はその取り入れた西洋のものをこの日本の美意識が昇華し世界へ発信する時代です。そこで新たな表現のベースとなるのはこの地で連綿と受け継がれてきた日本の伝統文化と称される匠の技です。
私はこの国の風土が1500年の空白期間に培ってきた和の美意識と技法に新たな表現の可能性を見ています。そして西の文化であるジュエリーと東の文化である日本の美と匠の技との出会いからこの和の表現が生まれました。
作品制作は一篇の詩を紡ぐことから始まります。その詩からデザイン画生まれ、形へと…
そこには畏怖すべき神なる気配との対話と内に潜む神性にアクセスする文脈が内包されています。
作品について
「美の表現」を装身具の中で見てゆくと現代のジュエリーとは西洋の文化であることに気が付きます。日本の装身具の歴史は、遥か縄文時代まで遡ります。
人々は独特な髪型や刺青と共に勾玉や管玉に代表される装身具(ジュエリー)で彩られ、宇宙意識や大いなるモノとのアクセスツールとして身につけられ、その美意識は主に王族の祭祀儀礼のツールや護符としての役割、またその権力の象徴と共に弥生・古墳時代へと受け継がれてゆきます。
しかし不思議なことにそれらのジュエリーは飛鳥時代に入ると忽然と歴史の舞台から消えてしまいます。数多あった国や王権が“ヤマト”に集約され、神と繋がる為のツールもその着用を許される人がごく小数に絞られてゆきます。また同時に人々は美の表現として身に着けるジュエリーを捨て、着物や髪飾り等を選択したのです。そこから着物や髪飾りに代表される“染め”や“結び”そして金物細工へと新たな表現への技が磨かれてゆきます。そして永い時を経て再びジュエリーが登場するのは文明開化の変革期・明治を待たねばなりません。
1500年に渡る空白期間を経て再び表舞台に登場したジュエリーですが、それまで培ってきた和の表現技法が表舞台から退いてゆきます。着物から洋服へ。結った髪からカットヘアーへ。衣食住すべてが西洋文化を取り込む大きな流れの中へ入り、その潮流は現代へとつづきます。現在、華々しく表舞台で西洋スタイルのジュエリーはスポットを浴び、現代の我々のライフスタイルにすっかり浸透しています。21世紀という時代はその取り入れた西洋のものをこの日本の美意識が昇華し世界へ発信する時代です。そこで新たな表現のベースとなるのはこの地で連綿と受け継がれてきた日本の伝統文化と称される匠の技です。
私はこの国の風土が1500年の空白期間に培ってきた和の美意識と技法に新たな表現の可能性を見ています。そして西の文化であるジュエリーと東の文化である日本の美と匠の技との出会いからこの和の表現が生まれました。
作品制作は一篇の詩を紡ぐことから始まります。その詩からデザイン画生まれ、形へと…
そこには畏怖すべき神なる気配との対話と内に潜む神性にアクセスする文脈が内包されています。